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新潟地方裁判所 昭和52年(ワ)498号 判決 1982年9月20日

原告

星野文男

原告

栗林好英

右原告ら訴訟代理人弁護士

片桐敏栄

被告

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

右訴訟代理人弁護士

斎藤彰

右指定代理人

長谷川石太郎

(ほか六名)

主文

一  被告が昭和五二年八月三日付をもって発令した原告栗林好英に対する三か月間停職の処分は無効であることを確認する。

二  被告は、原告栗林好英に対し金二四万四一二五円及び昭和五二年一一月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告栗林好英のその余の請求及び原告星野文男の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用中、原告栗林好英と被告との間に生じたものは被告の負担とし、原告星野文男と被告との間に生じたものは原告星野の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五二年八月三日付をもって発令した原告星野文男(以下「原告星野」という。)に対する六か月間停職及び同栗林好英(以下「原告栗林」という。)に対する三か月間停職の各処分はいずれも無効であることを確認する。

2  被告は、原告星野に対し金七九万一三四七円、同栗林に対し金二四万四一二五円及び昭和五二年一一月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  2につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求をいずれも棄却する。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告星野は昭和四五年三月県立新潟高校を卒業して、新潟鉄道学園で所定の教育、訓練を受け、同年三月被告日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)に臨時雇用員として採用されて新潟鉄道管理局長岡操作場に配属され、同年六月一日準職員、同年一二月一日職員に採用されて、以降新潟駅構内作業係(現職名は「構内係」)に勤務し、列車の連結、開放、入替作業に従事してきたものである。

(二)  原告栗林は昭和四二年三月県立新潟商業高校を卒業し、同年一二月新潟鉄道学園で所定の教育、訓練を受け、同月国鉄準職員に採用されて吉田駅構内作業係に勤務し、同四三年四月東新潟港駅構内作業係(現職名は「構内指導係」)に配転され、同年六月一日職員となり、以降同係に勤務し、専ら列車の連結、転てつ業務に従事しているものである。

2(一)  原告星野は昭和五二年八月三日付をもって日本国有鉄道法(以下「国鉄法」という。)第三一条により六か月間停職の懲戒処分を受けた。

(二)  原告栗林は同日付をもって同条により三か月間停職の懲戒処分を受けた。

(三)  右各停職処分(以下「本件各懲戒処分」という。)は後記五のとおり違法、無効である。

3  本件各懲戒処分により原告らの受けるべき賃金のうち、原告星野においては金七九万一三七四円を、同栗林においては金二四万四一二五円をそれぞれ減額された。

よって、原告らは被告に対し、本件各懲戒処分の無効確認並びに同処分による賃金減額分に相当する右各金員及びこれに対する昭和五二年一一月三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)、(二)はいずれも認める。

2  同2の(一)、(二)はいずれも認める。

3  同3は認める。

三  抗弁

1  原告らは、いずれも昭和五二年五月二四日(以下、特に断らない限り昭和五二年は省略し、月日のみで記する。)から六月一四日までの間無断で勤務を欠いた(以下「本件欠務」という)。

2(一)  原告星野の勤務する新潟駅の構内作業係(昭和四八年六月一日から「構内係」に職名変更)は列車の連結、開放、入替その他これに伴う作業をその内容とするところ、同駅では、これらの作業を三作業体に分けて、担当職員並びにその担当の日時及び列車を表示した「作業ダイヤ」(勤務予定表)が前月の二四日までに編成され、翌二五日にはそれが全職員に公示される。したがって右「作業ダイヤ」に組み込まれた担当者が一人でも欠務ないし遅参した場合には当該担当者の作業が停滞するのみならず、他の列車の各作業に及ぼす影響も極めて大きく、特に同駅は発着列車の数及び種類並びに線路数が極めて多いところから、一列車についての作業の停滞が連鎖的に他に影響を及ぼし、国鉄にとって最も重要な責務の一つである旅客及び貨物等の円滑かつ的確な輸送に重大な支障を生ぜしめる危険性は極めて大きく、同被告の本件欠務によりその危険性を招来した。

(二)  原告栗林の勤務する東新潟港駅は臨港埠頭に陸上げされた貨物の県内外への鉄道輸送、新潟鉄工車両及び新潟電工専用線発着貨物を取り扱っているものであり、その取扱車両数は一日平均約二五〇両、構内の線路総延長は一万六五〇〇メートル余であるが、同駅の構内指導係としての同原告の職務分担は、列車の発着及び貨車入替作業に伴う転てつ器の取扱いが主たるものであるところ、同駅の転てつ器は八四か所ありこれらが七か所の操作場所において各一名、計七名の職員が分担して操作するが、同駅は構内が広く線路の配線も複雑であって列車の構内での発着、入替移動には作業内容によって各転てつ操作場所において、それぞれが密接な連絡を取り合って操作する必要があり、かつ、列車の入替等には転てつ担当、操車担当及び連結担当の各職員がいずれも連携を保って作業に従事しなければならない。これを同駅の転てつ担当者一七名が交互に七か所の操作場所を一昼夜交代勤務と日勤勤務とを一定の周期のもとに繰り返しながら前月中に編成済みの「作業ダイヤ」に従い、繰車及び連結の各担当者と組み合って作業に従事するものであり、操作場所における転てつ担当者が一人でも欠務した場合は当該列車の操車、入替等が不能状態に陥ってしまうので、単に駅構内における作業の停滞のみならず、当該貨物の搬入を予定して企業計画を組み立てていた他企業等に及ぼす影響は測り難く、同原告の本件欠務により作業の停滞及び他企業への影響を惹起する危険性を招来した。

3  ところで、公共の福祉と密接に関連する極めて公共性の高い事業を営む企業体である国鉄の職員は、その事業の性格に鑑みその職務を遂行するについて誠実に法令及び国鉄の定める業務上の規定に従わなければならず、国鉄職員に「全力をあげて職務の遂行に専念すべきこと」を命ずる国鉄法第三二条の規定をまつまでもなく、多数の人命及び物資の安全な輸送を使命とする業務に携わっているのであるから、業務の遂行に当たり安全確保に対する認識を保持することは欠くことの出来ない基本的な国鉄職員の本分であり、とりわけ原告らはいずれも相当期間にわたり国鉄職員としてその業務に従事してきたもので、国鉄の業務内容の重要性及び自己の職責の重大性はつとに認識しているはずであり、かつ、右の業務遂行にあたって原告らがその担当業務を無断で欠務した場合、その業務にいかなる重大な支障が発生し、列車輸送の円滑な進行が阻害され、ひいては安全確保上極めて大きな影響ないし危険が予測され、そしてこの危険防止ないし円滑輸送確保のため、他の職員がいかに苦慮しなければならなくなるかなどについては明白なこととして認識し、又は認識しなければならないにもかかわらず、原告らは無断で欠務したものである。

4  よって、原告らの本件欠務は国鉄就業規則第六六条第一号、「日本国有鉄道に関する法規、令達に違反したとき。」、第二号「責務を尽さず、よって業務に支障を生ぜしめたとき。」、第一五号「職務上の規律をみだす行いのあったとき。」及び第一七号「その他著しく不都合な行いのあったとき。」に該当するので、被告は国鉄法第三一条により、原告らに対し本件各懲戒処分をなした。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、原告らが五月二四日から六月一三日まで勤務を欠いたことは認め、その余は争う。

2  同2(一)、(二)のうち、原告らの欠務により被告主張のような危険を招来したことは争う。

3  同3は争う。

4  同4のうち、原告らの欠務が国鉄就業規則の被告主張の各規定に該当することは争い、その余は認める。

五  抗弁に対する積極的主張及び再抗弁

1  (懲戒事由不該当)

(一) 原告らはいずれも国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員として国労新潟地方本部新潟支部(以下「支部」という。)青年部に属するものであるが、五月二三日午後一時、東京都内の代々木公園において部落解放同盟、部落解放中央共闘会議(総評、社会党その他の政党及び支援団体で組織)主催の「五・二三石川一雄不当逮捕一四周年糾弾口頭弁論早期実現中央決起集会」(以下「五・二三集会」という。)が開催されることとなり、総評傘下の国労は昭和四九年の大会で「部落解放の積極的な取組み強化と狭山(差別)裁判勝利」を正式に運動方針として決定して以降、毎年これを運動方針として掲げ、部落解放同盟と共闘して積極的に取り組んできたのであって、五・二三集会についても支部青年部において五月一一日の常任委員会で五・二三集会に参加することを正式に議決、決定した。

(二) 原告らはいずれも支部青年部員として右決定に基づいて五・二三集会に参加した。同集会閉会後、会場の代々木公園から明治公園へ向かって二コースに分かれ、デモ行進が行なわれたが、午後四時過ぎころ原告らが参加したデモ隊列は、機動隊の規制により歩道に押し寄せられてその一部が将棋倒しになったため、原告らはその下敷となり、規制にあたっていた機動隊員に転倒したまま道路反対側に引きずられ、その際、機動隊員の足を蹴ったとして公務執行妨害罪により現行犯逮捕され、その後同月二五日に勾留され、引き続き六月一三日まで大井警察署で身柄を拘束され、同日釈放された。

(三) 原告らは右逮捕、勾留中の職場への連絡については憲法上保障された黙秘権を、国労の指導方針に従って氏名、住所を含めて行使したので、警察官に連絡を託すことは身分関係が明らかになり、黙秘権行使と相反することとなり、また、勾留に接見禁止が付されたので職場への連絡は弁護士に依頼するほかなかったところ、原告星野は五月三一日弁護士と初めて接見できたため自宅及び職場への連絡を依頼し、同栗林は同月二五日弁護士と初めて接見して自宅及び職場への連絡を依頼した。それとともに、翌二六日、前日の接見の際弁護士から渡された「休暇届」と書かれた用紙に「勾留中で出勤できないので休暇をとる」旨記載して、看守に弁護士に渡してくれるように依頼した。

それ以外に、原告らは五月二三日に逮捕される際、新潟から一緒に五・二三集会に参加した片岡謙二に対し、原告らの右事情を各自宅及び職場に連絡するよう依頼した。右片岡は翌二四日午前一〇時二〇分ころ電話で原告星野の職場の上司である北村寅治(運転主任)に同原告からの依頼で「都合が悪くなり暫く休ませてもらいたい。」と連絡し、次いで同栗林の上司である大塩健五郎(首席助役)に対し電話で右同様の連絡をした。

(四) また、右片岡は五月二五日、原告らの自宅にそれぞれ赴いて原告らがいずれもまだ帰宅していないことを確かめ、逮捕の事情をそれぞれの両親に説明した。

原告星野の母は逮捕の事実を知り、同日新潟駅に赴いて同原告の上司である岩島博(総括助役)に面会し、同原告が東京で行なわれた集会に参加して逮捕されたことを報告するとともに、職場に迷惑をかけることを謝罪し、今後の処置を同人に依頼した。

原告栗林の父は前日の同月二四日、同原告の所属する国労東新潟港駅分会長である柏淳一から「五・二三集会に参加して逮捕されたのではないか、新聞で知って駅長とも話して来た。」との連絡を受けたので、翌二五日午前九時三〇分ころ東新潟港駅に赴いて駅長に面会して謝罪するとともに事後の善処を依頼した。

(五) そして、原告らは、釈放されると直ちに六月一四日職場に復帰して、それぞれ上司に対し逮捕、勾留により出勤できなかった事情を報告した。

(六) 以上のとおり、原告らは不当に逮捕、勾留されるという事故によりやむを得ず欠務したが、その後五月二四日に片岡謙二を介して、同月二五日にそれぞれの両親を介して、そして六月一四日に自ら、速やかに届出をしたものであって無断で欠務したのではなく、被告主張のいずれの懲戒事由にも該当しない。

2  (手続違反)

(一) 国鉄と国労の間で締結された「懲戒の基準に関する協約」は、懲戒を行う場合は、発令前に被処分者に対し、懲戒されるべき事由及び処分の程度を、文章をもって通知すべく(第三条)、同通知を受けた被処分者が異議のある場合は、通知を受けた日から五日以内に、弁明を行い又は三名を限度として選任した者による弁護を行うことを求めることができる(第四条、第五条)旨規定している。

本件各懲戒処分についての事前の通知は、原告らに対し、いずれも六月二七日付通知書を郵送することによってなされたが、原告らは所定の異議申立期間内である七月五日までに異議申立をしてそれぞれ三名(うち二名は共通)の弁護人を選任し、被告に届け出た。ところが、被告は七月六日、弁護人らの都合を確かめないまま原告らに対し第一回の弁明、弁護の期日を七月八日と指定した。同日は弁護人らの都合がつかないため、原告らは延期を申し入れた。しかし被告は、その後も弁護人らの都合を確かめないまま、七月一三日、同月一九日と一方的に指定したが、いずれの日も弁護人の都合が悪いので、原告らは更に弁護人の都合を確かめたうえ期日指定するように申し入れ、同月二三日弁明、弁護の期日に申し述べる事項及び被告に釈明を求めるべき点についての要旨を記載した「弁明書」などを提出して期日指定を求めた。それにもかかわらず、被告は新たな期日指定をしないまま八月三日付で本件各懲戒処分を発令した。

(二) 原告らは労働協約により懲戒処分について弁明、弁護の機会が保障され、弁護人選任権が与えられている以上、被告はその期日指定にあたっては弁護人の都合も確かめて期日を指定すべきであり、これまで弁明、弁護の期日は弁護人の勤務時間中に指定されるのが通例であるのに、事前に弁護人の都合を確かめずに期日指定したので、原告らは弁明の意向を表明したうえ期日の変更を求めたにもかかわらず、弁明、弁護の機会を与えずに本件各懲戒処分をしたのは手続の公平を欠き、労働協約に反し違法である。

3  (二重処罰)

原告らは被告から、六月一六日から八月三日までの四九日間「謹慎」を命じられたが、これは作業が与えられず、現場詰所で一日中反省するという実質的な懲戒処分でその内容は原告らにとって精神的、肉体的に苦痛を強いるものであり、また作業が与えられないため特別勤務上の諸手当の支給もなく実質的減給となり、懲戒処分である戒告、減給以上の内容を含むものであり、このような「謹慎」を課したうえ、更に停職処分をすることは、二重処罰というべきで、違法である。

4  (権利濫用)

原告星野の欠務中、代替勤務者を定めなければならなかったのは、五月二五日、同月二七日及び同月三〇日の三日間のみであるところ、同月三〇日は具体的勤務指定のない日勤者をこれにあてており結局代替勤務者として他の職員に迷惑をかけたのは二日のみであり、また原告栗林の場合その欠務中代替勤務者が必要であったのは五月二四日、同月二六日、同月二七日及び同月三〇日の四日間のみであり、そのうち二日間は助役が代務しており、いずれの職場においてもそれほどの支障、混乱はなく、欠務の結果は重大とはいえず、その他欠務が逮捕、勾留を理由とするものであり、原告らには同種前歴のないこと、本件各懲戒処分は免職に次いで重い停職であり、その期間も三か月及び六か月と長期であるうえ、約五〇日間謹慎が課された後になされたものであること、国鉄職員がデモ行進に参加して逮捕、勾留された事例は別表(略)記載のとおり少なくないが、いずれも処分は受けていないことなどに鑑みると、本件各懲戒処分は、企業の秩序維持という懲戒処分の目的を逸脱したものであって、懲戒権を濫用したものである。

六  抗弁に対する積極的主張・再抗弁に対する認否及び反論

1(一)  抗弁に対する積極的主張・再抗弁1(一)、(二)のうち原告らが国労の組合員であること、五月二三日東京都内で逮捕、同月二五日勾留され、六月一三日釈放されたことは認め、その余は不知。

(二)  同(三)は不知。

(三)  同(四)のうち、原告星野の母が五月二五日に新潟駅へ赴いて岩島博と面会したこと、同栗林の父が同日東新潟港駅に赴いて駅長に面会したことは認め、その余は不知。

なお、逮捕、勾留は所定の手続を経てなされ、勾留については裁判官が法に基づき原告らにその理由と必要性を認めて決定したものでこれを違法とはいえず、また、この逮捕、勾留はひとえに原告らの個人的な思想とその判断にかかる集会及びデモ行進への参加の結果であって被告とは無関係の領域でのものである。したがって、やむを得ない事由に基づく欠務とはいえない。

(四)  同(五)のうち、原告らが六月一四日職場に出てきて、それぞれ上司に対し、原告ら主張の事情を報告して就労を申し出たことは認め、その余は否認する。

(五)  同(六)は争う。

2  同2のうち国鉄と国労間に原告ら主張の協約の存すること、原告らが異議申立をしてそれぞれ三名の弁護人を選任し、被告に届け出たこと、被告が第一回の弁明、弁護の期日を七月八日に指定したこと、その後原告らの申入れにより期日を七月一三日、更に同月一九日と指定したこと、原告らが「弁明書」を提出したこと、八月三日付で本件各懲戒処分を発令したことは認め、その余は不知。

なお、弁護人は三名まで選任できるのではあるが、三名全員が出頭しなければ弁明、弁護の期日を開けないということはないのであるから、三回の指定期日のうち出頭できる弁護人が一名であっても原告ら本人とともに出頭すべきであり、仮りにすべての弁護人が出頭できないのであれば、少なくとも原告ら本人は出頭して弁明すべきであったにもかかわらず、原告らの利益のために開かれた弁明、弁護の期日に三回とも誰一人として出頭しないのは自らその利益を放棄したものと見做されてもやむを得ないところというべきである。

3  同3のうち、原告らが六月一六日「謹慎」を命じられ、同日から八月三日まで作業が与えられなかったことは認め、その余は不知。

なお、「謹慎」とは当該職員を日勤勤務とし、ただし具体的作業に就かせないで待機させておくものであって、所属長(原告星野においては新潟駅長、同栗林においては東新潟港駅長)が業務上の指示及び命令権限に基づいて命じた業務内容の一形態であり、業務全体を円滑、安全かつ確実に遂行しなければならない責務を有する現業業務の最高責任者である右各所属長が、原告らが相当期間にわたり逮捕、勾留され心理状態の不安定、身体の疲労などを来たしてはいないかと憂慮し、更にすでに確定した勤務割りに原告らを組み込むと関係職員の勤務割りを全部組み変えることとなり職員の生活設計上問題であること、原告らが、本件欠務によって迷惑を受けた関係職員に対し陳謝することもないため、関係職員との意思疎通を欠き、職場の雰囲気が悪化し、ひいては他の職員の志気に影響を与えるおそれがあったこと、また他の職員と息のあった作業が不可能となり事故を惹起するおそれがあったことなどを考慮して、その責務を的確かつ能率的に果たすために当然とるべき措置のひとつとしてなされた業務命令であって、懲戒処分とはその本質を異にするから、二重処罰とはならない。

4  同4は争う。

なお被告は、原告らの欠務の原因が原告らの個人的思想と判断にかかる集会及びデモ行進への参加から生じた逮捕、勾留であること、欠務の態様が二二日間の無断欠務であること、勤務予定の大幅な変更による業務及び他の職員等に対する影響の重大性、原告らの平素の勤務態度、その他本件欠務に対する反省の意思のないことなど諸般の事情を考慮して本件各懲戒処分をしたもので、本件各懲戒処分にはいささかも不当、違法なところはなく、きわめて正当かつ適法な処分である。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1、2の(一)、(二)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  原告らが五月二四日から六月一三日まで勤務を欠いたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、原告らの六月一四日の勤務はいずれも日勤勤務と指定されていたところ、原告らはその勤務時間終了後に職場に顔を出したものであることが認められ、これを左右するに足りる証拠はないから、原告らは同日も勤務を欠いたものというべきである。

三  そこで、原告らの本件欠務(勤)が被告主張の懲戒規定に該当するかどうか検討する。

1  (証拠略)によれば、国鉄就業規則第一二条第一項は「職員が遅刻、早退及び欠勤、欠務をする場合は、所属長に予めその理由を具して届出でその承認を得なければならない。但し、病気その他の事故によりやむを得ず予め届出ることができなかったときは、事後速やかに届出てその承認をうけなければならない。」と規定していること、右届出の形式については右就業規則に何の規定もないことが認められる。

ところで、企業はその雇用する労働者を有効、適切に配置して業務活動の円滑な運営を図るものであり、労働者の欠務(勤)は多かれ少かれ業務上の支障、混乱をきたすものであるが、労働者も生身の人間である以上、病気その他により欠務せざるを得ない場合の生じることは避けられないところであり、したがって日常的に発生する欠務については、企業としてもこれに対応できる一定の態勢を講じるのが当然であり、近代的労務関係において欠務自体を直ちに職場秩序・企業秩序を乱すものとして制裁の対象としていないのが一般である。しかし、企業が欠務に対応できる態勢を整えたとしても、具体的な欠務に対応する方策を講じるには、そのための時間的余裕が必要なことは明らかであるから、労働者をして事前に欠務を届出させるべく義務づけることは合理的規制というべきである。

そして、欠務について事前の届出がなされれば、企業において対応策を講じることができ、営業活動に対する影響を最小限に止めることができると一応いい得るとしても、時期、期間その他の事情によっては、混乱を回避できない場合も生じ、また届出による恣意的な出退勤を許容しなければならないものではないから、欠務について承認を要するとすることも一概に不合理とはいい難い。しかし、就業規則が承認の基準を定めていない場合、欠務を承認せず、これを企業秩序違反として懲戒の対象とすることのできるのは、その相当性が容易に肯認できる怠慢によるものに限られると解すべきである。

なお、欠務の届出というためには、その期間を明記すべきことは事の性質上当然のことといい得る。

2  (証拠略)を総合すると次の事実が認められる。

(一)  国労は、昭和四九年以来部落解放運動の支持をその運動方針としているところ、五月二三日東京都内の代々木公園において、部落解放同盟、部落解放中央共闘会議主催により「五・二三集会」が開催されることとなり、支部青年部においても五月一一日の常任委員会で五・二三集会への参加を決定したことに基づき、いずれも右青年部員である原告らは公休日であった同月二三日、上京したうえ、五・二三集会及び同集会閉会後引き続き行なわれたデモ行進に参加したが、その途中規制にあたっていた機動隊員の足を蹴ったとして公務執行妨害罪により現行犯逮捕され、その後同月二五日大井警察署に勾留され、またいわゆる接見禁止処分を受けた(原告らが、東京都内で同月二三日逮捕、同月二五日勾留されたことは当事者間に争いがない)。

(二)  原告らは右逮捕及び勾留の間、国労の指導方針に従い氏名及び住所についても黙秘し、従って、刑事訴訟法第七九条による通知もなされなかった。それで、原告栗林においては五月二五日になされた弁護士田村公一との接見の機会に、右弁護士から渡された「休暇届」と書かれた用紙に同月二六日付で、勾留中で出勤できないので休暇をとる旨記載して、同日警察官に対し、右弁護士へ交付してほしい旨依頼しこれを託した。他方、原告星野は同月三一日に弁護士と初めて接見がなされ、その後数回にわたり接見の機会はあったが、特に、休暇届及びそれに類するものを依頼はしなかった。

(三)  ところで、原告らの友人で新潟市近郊に居住する片岡謙二は原告らとともに五・二三集会に参加したが、原告らが機動隊員に引きずられているのを目撃し、また、デモ隊が解散した後にしばらく待っても原告らが戻ってこないので逮捕されたのではないかと推察し、翌二四日新潟へ戻ってから、いずれも電話で、原告星野の上司(運転主任)北村寅治に対し、名前を明かすことなく、同原告の友人であるが、同原告に急用ができたので休ませてもらいたい旨、また原告栗林の上司(首席助役)大塩健五郎に対し、偽名の山本を使い、同原告から頼まれたが、都合が悪いので暫らく休ませて欲しい旨一方的に告げ、これを切った。右片岡はその時点でもいまだ原告らが現実に逮捕されたか否かを確認していなかった。

(四)  片岡謙二は、五月二五日原告らの各自宅へ赴いたところ、原告栗林宅は家人が留守であったが、原告星野宅では母親の星野としみに会い、同原告が逮捕されたかもしれない旨告げると星野としみは同日新潟駅に赴いて同原告の上司である輸送総括助役岩島博に面会し、同原告が逮捕されたかもしれないので迷惑をかけるが申し訳ない旨述べたが、休暇届の点については具体的な話をしないままであった。

また、原告栗林の父親栗林運藏は同月二四日、東新潟港駅分会長柏淳一から、同原告が東京で逮捕されたかもしれない旨の知らせを受けて、翌二五日東新潟港駅に同駅長を訪ね、同原告が逮捕されたかもしれないので心配である旨及び職場へも迷惑をかけ申し訳ない旨話したが、休暇届等については話をしなかった(星野としみ及び栗林運藏が右各月日にそれぞれ原告らの各上司に面会したことは当事者間に争いがない)。

(五)  原告栗林が警察官に託した前記「休暇届」は、前記弁護士田村公一に渡された。六月一三日午前、前記片岡謙二の許に、右休暇届が右弁護士の名入りの封筒とともに郵送されたので、右片岡は右封筒に右休暇届を入れ、同日午後新潟中央郵便局受付の速達郵便で、新潟東港駅長に宛て送付した。右郵便は翌一四日午前八時頃右駅に配達された。

以上のとおり認められ、前掲証人片岡の証言中右認定に反する部分は前掲他の証拠と対比して信用できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

なお、証人片岡謙二並びに原告星野(第一回)及び同栗林各本人は、原告らは、逮捕される直前、片岡謙二に職場等への連絡を依頼し、同人はこれを受けた旨各供述するが、これは、右証人らの各供述するその際の状況よりしてそのような余裕があったとは認められないところよりして、また原告星野(第一回)は、右認定の弁護士との接見の際、同人に職場への連絡を依頼した旨供述するが、これは、弁護士が依頼者の右のような重要な依頼を単に聞き流して放置するとは考えられないところよりして、いずれも容易に信用できない。

3(一)  右事実に徴すると、片岡謙二は、原告らの各職場へ連絡した当時においては原告らが現実に逮捕されたことについては未確認であって、欠務理由及び欠務期間を具体的に明らかにすることができなかったものであって、右連絡内容はこれを明らかにするものではなく、かつ連絡を受けた原告らの各上司においてそれが真に原告らの明示あるいは推知された意思に由来するものか否か確めることのできないものであるところよりして、右連絡をもって、原告らの休暇届がなされたと同視することは困難である。

(二)  また、原告らの親も、各駅へ赴いた時点ではまだ原告らの逮捕の事実を確認しておらず、原告らの各上司に述べた内容も原告らに代って欠務の事由を明らかにして一定の期間における欠務を届け出て、その承認を求めるようなものではないから、五月二五日原告らの親からそれぞれ原告らの休暇届があったと認めることはできない。

(三)  次に、原告栗林の五月二六日付休暇届であるが、そこに記載されている欠務の理由は、国鉄就業規則の前記規定が明らかにすることを要求しているところを十分満すものというべきである。欠務期間については終期が明記されていないが、勾留の性質からして、被拘束者である同原告がその時期を定めることはもとより、これを明らかにすることのできないものである反面、起訴前の勾留期間は最長期間が法定されており、かつ、起訴の前後により身柄拘束の性格が異ってくるとともに労務関係における身分上の取扱上の差異も生じ得る(国鉄法第三〇条参照)ことからすれば、右のような場合、特段の事情のない限り、欠務期間の終期は遅くも右勾留最終期限(本件にあっては六月一五日)とする不確定なものとして届出られていると解すべきであり、右休暇届の記載も右の趣旨のようなものと認められるところ、不確定な期間の届出も右の程度に限定されたものであれば、右就業規則の規定に合致するものというべきである。

ところで、右休暇届は六月一四日午前職場に到達したものであって、事前のものということはできないが、国鉄就業規則第一二条第一項但書は「病気その他の事故によりやむを得ず予め届出ることができないとき」は事後速かに届出て承認を受ければ足りるものとしている。原告栗林の逮捕はその状況からして突発的なものと認められ、事前にこれによる欠務を届出ることはできなかったということができる。そして、同原告が、黙秘権の対象に含まれないと解すべき住所・氏名についてまで黙秘することなく、五月二五日行われた勾留質問の際、刑事訴訟法第七九条の規定する通知先を自己の父親と指定すれば、右通知を受けた同人において同原告の意思を推知して、同原告に代り欠務の届出をしたものと認められ、そうとすれば、その場合より着手するのが若干遅れたということにはなるが、同原告が最初に外部との交通ができた同日の翌日である一六日右休暇届を警察官に託したことは、同原告の立場に置かれた場合とり得べき措置をとったものというべきであり、その職場に到達するのが遅延した責を同原告に帰せしめるのは相当でなく、結局、右休暇届は、同原告の本件欠務全部についてのやむを得ず事後速かになされた届出と認められる。

(四)  次に、原告星野は、六月一四日職場に出て上司に欠務の理由を報告するまで、本件欠務について全くその届出の手続をしなかったものであり、右上司に対する報告をもって事後の届出とみることはできなくないとしても、氏名・住所まで黙秘することなく、勾留質問の際その通知先を自己の父親と指定すれば、同人により欠務の届出はなされたと認められ、遅くとも五月三一日弁護人と接見した際、右届出を依頼することはできた筈であるから、右報告をもってやむを得ず事後速かになされた届出とは認め難い。

(五)  原告栗林の本件欠務について被告の承認がないことは弁論の全趣旨により明らかであるが、前叙のとおり届出があった場合懲戒の対象となる欠務は、怠慢を理由とするものに限られるところ、右欠務はこれに該当しないというべきである。

4  そして、(証拠略)によれば、次の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(一)  前示のとおり、原告星野は、本件欠務当時、新潟駅構内作業係の職にあって、同係の職務である車両の解結(解放・連結)及び転てつ器の取扱い並びにこれに附帯する業務、列車の分割及び併合のうち連結担当として主として車両の解結、列車の分割・併合の作業(以下「連結作業」という。)に従事していた。連結作業は、運転係の操車担当と組んで行われるが、勤務の形態は、常時、一昼夜交代勤務(午前八時三〇分から翌日午前八時三〇分まで、以下「徹夜勤務」という。)で、一勤務に三名の連結担当が配置され、右駅構内での作業を分担していた。

(二)  連結作業に限らず、作業については、職場毎に、各担当者につき毎月の勤務すべき日時、従事すべき作業を具体的に指定する作業ダイヤ(勤務割当予定実施表)が前月二四日までに編成され、二五日に公示されている。

(三)  四月二五日公示された作業ダイヤによれば、同原告の五月二五日から同月三一日までの勤務は、二五日が日勤勤務、二五日・二六日、二七日・二八日、三〇日・三一日がいずれも徹夜勤務、二九日が公休(労働基準法上の休日)となっていた。右日勤勤務というのは、新潟駅構内係については、作業ダイヤ作成上生ずる空白の日を指称し、午前八時三〇分から午後五時五分までの勤務であるが、同係の本来の作業につくことなく、その都度所属長の指示する作業に従事するものである。

なお、同原告は六月一三日から職務が転てつ担当に変ることとなっていたもので、同月一日から同月一二日までは、転てつ担当の本務者について作業の見習をする予定となっていた。

(四)  新潟駅では、同原告の本件欠務により、五月二四日、二五日・二六日の同原告の勤務を、二五日代休(振替え休日)、二六日・二七日徹夜勤務の佐藤南に代務させ、同勤務を、二六日日勤勤務、二七日公休日の兵藤良一に変更し、同月二六日、二七日・二八日の同原告の徹夜勤務を、二七日非番休(時間短縮による休日)、二九日・三〇日徹夜勤務の宮下弘幸に、同勤務を、二九日・三〇日代休の伊藤昌彦に、三〇日・三一日の同原告の徹夜勤務を、三〇日・三一日日勤勤務の岡勝則にそれぞれ変更した。

(五)  五月三一日に同原告の六月一日から同月一二日までの転てつ作業見習をすべて日勤勤務に変更し、同月六日、前月二五日に公示された作業ダイヤを全面的に作成し直し、同原告の同月一三日以降の勤務を、欠務しても代務者の手配を必要としない日勤勤務に変更した。

(六)  右のような勤務変更の措置により、業務は通常どおりの運営が確保されたものの、度重なる勤務変更については、新潟駅当局に対し、労働組合から関係者の生活設計が立たないと善処方の申し入れがなされた。

5  国鉄法第三一条第一項第一号にいう「日本国有鉄道の定める業務上の規程」に当たる国鉄就業規則第六六条第一号、第二号、第一五号、第一七号がそれぞれ被告主張のとおり規定していることは当事者間に争いがないところ、原告星野の本件欠務は、これにより現実に業務に支障を生じたことはなかったから、右第二号の規定には該当しないとしても、他の各号の規定及び国鉄法第三一条第一項第二号の規定にも該当するというべきである。

四  そこで、原告星野に対する本件懲戒処分に手続違反があったかどうか(再抗弁2)検討する。

1  原告星野が国労の組合員であること、再抗弁2のうち、国鉄と国労の間に「懲戒の基準に関する協約」が存し、同協約には原告星野の主張するとおりの規定があること、原告らが異議申立をしてそれぞれ三名(うち二名は共通)の弁護人を選任し、被告に届け出たこと、被告が第一回の弁明、弁護の期日を七月八日に指定したこと、その後原告らの申入れにより期日を七月一三日、更に同月一九日と変更して指定したこと、原告らが弁明書を提出したこと、八月三日付で本件各懲戒処分が発令されたことはいずれも当事者間に争いがない。

2  そして、(証拠略)を総合すると次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告星野は七月五日、同栗林は同月一日それぞれ異議申立をし、被告は同月五日、第一回目の弁明、弁護の期日を同月八日と指定したが、これに対して原告らは、同期日の当日になって、弁護人全員の出席が見込めないことを理由に期日の変更を求め、被告はこれに応じて同月一一日に弁明、弁護の期日を同月一三日に変更した。原告らはこれに対しても弁護人全員の出席は見込めないとして、更に期日の変更を求めた。前記協約第八条本文は、弁明、弁護は異議申立のあった日から二週間以内で終了する旨規定しているが、同月一五日に被告は原告らが異議申立をした日から二週間目にあたる七月一九日に弁明、弁護の期日を変更し、原告らに同期日とともに弁護人の出頭が望めないなら本人が出頭するように通知したが、原告ら本人及び弁護人らの出頭のないまま同期日が経過した。なお、被告が期日指定をするにあたり弁護人らの都合を確認したことはなかった。

(二)  その後、原告らは七月二二日に、原告らに逮捕、勾留の理由となった公務執行妨害の事実は存在しないとする弁護士田村公一作成の証明書を添付して弁明書を提出し、その後東京地方検察庁から送付された「不起訴処分告知書」を提出した。

(三)  右弁明書は被告において一応受理したが、被告はこれまでの弁明、弁護期日の指定の経過に鑑み、今後仮りに期日指定をしても原告ら本人及び弁護人らの出席は望めないものと判断し、その後具体的期日指定をしないまま本件各懲戒処分を発令した。

3  右のように、被告が弁明、弁護の期日を指定するに当たり、原告らの選任した弁護人の都合を確かめなかったとしても、弁護を認めた前記協約の規定から、右のような確認義務を導き出すことはできないし、被告は原告からの変更申し出に対し、三回にわたりこれに応じているものであって、被告においてことさら弁護人らの出頭不可能な日を選んで原告らの弁明、弁護の機会を奪おうとしたものとは認められない。

弁明、弁護の制度の趣旨からすれば、被処分者及び弁護人において指定された期日に出頭するようできる限り努力すべきものであり、それにも拘らず都合がつかず指定期日の変更を申し出るのであれば、出頭可能な日を併せて申し出る位のことはなすべきであって、原告ら及び弁護人らのいずれもが漫然、被告が三回にわたり指定した期日に出頭せず、右各期日を無為に終らせたことは、原告らは弁明、弁護の機会を与えられながら、これを自ら放棄したというべきである。したがって、原告星野に対する本件懲戒処分をもって前記協約の規定に違反した違法なものということはできないから、再抗弁2は理由がない。

五  次に、原告星野に対する本件懲戒処分が二重処罰として違法なものかどうか(再抗弁3)検討する。

1  (証拠略)を総合すれば、原告星野が六月一六日職場に出勤した(前示のとおり、作業ダイヤ上同原告の勤務は日勤勤務と指定されていた)ところ、所属長である新潟駅長から、同日の作業として運転室(詰所)での謹慎を命じられ、作業は一切命じられなかったこと、その状態は休日及び無断欠勤をした七月七日を除き、本件懲戒処分発令の日である八月三日まで続いたこと(同原告が六月一六日謹慎を命じられ、同日から八月三日まで作業が与えられなかったことは当事者間に争いがない)、右措置は被告において同原告が本件欠務について反省することを期待してとられたものであるが、例えば反省の内容を文章にして提出を命じるようなことはなく、作業を命じないに止まり、同原告は、その間、本件欠務により同原告に代り勤務した職員に対する挨拶回りをしたり、右駅長に対し、何回かにわたり、謹慎命令の根拠についての説明を求め、あるいはこれに抗議したりしたこと、同原告の本件欠務により前示のように勤務変更を繰り返したため、労働組合から善処方の申し入れがなされていたが、既に六月一杯は日勤勤務に指定していた同原告の勤務を平常の勤務に戻すには、再度作業ダイヤの変更が必要となるばかりでなく、同原告に対しては近く懲戒処分のなされることが予想されており、それにより更に作業ダイヤの手直しをしなければならなくなる恐れもあったこと、そして、右措置が長期化したのは前示のとおり、原告らないしその選任にかかる弁護人の都合により弁明、弁護の期日が三回にわたり延期されたことによるものであることが認められる。

2  ところで、国鉄法第三一条が同一事由に基づき二度にわたり懲戒処分を課することを容認するものでないことはその文理上明らかというべきであるとともに、懲戒処分を免職、停職、減給又は戒告の四種類に限定していることも明らかであり、かつその内容も明確にされているのであるから、二重処分が成立するのは処分が共に右規定による処分でなければならないと解すべきである。仮に、職員が懲戒事由に該当する場合に、当該職員に対する制裁として不利益処分を課しても、それが違法なものとして効力を生じないことはいうまでもない。

本件において、謹慎は、本件欠務に対する制裁としてとられた措置ではなく、懲戒処分が発令されるまでの暫定的措置としてのものというべきであり、かつ、その内容も、反省を期待して作業を課さないといったもので、右四種類の懲戒処分とは全く異なるものである。なお、特殊勤務をした場合に支給される手当が、同勤務をしない者が支給を受けられないのは当然のことであるばかりでなく、弁論の全趣旨によれば、日勤勤務者は特殊勤務につかないことが認められるところ、前示のとおり、原告星野の六月中の勤務は、謹慎とは関係なく、作業ダイヤ上日勤勤務と指定されていたものである。

3  そのようにして、謹慎は懲戒処分とは異なるから、本件懲戒処分は二重処分とはいえず、再抗弁3は理由がない。

六  原告星野に対する本件懲戒処分が懲戒権を濫用したものかどうか(再抗弁4)検討する。

1  国鉄法第三一条第一項は懲戒処分として免職、停職、減給及び戒告を規定しているが、いずれの懲戒処分を選択すべきかにつき、国鉄の関係法規中にはその具体的基準は示されていないところ、このような場合懲戒権者は懲戒事由に該当する行為の外形、その原因、動機、状況及び結果その他当該職員の処分歴など諸般の事情を斟酌し、企業秩序の維持、確保の見地から相当と判断する処分を選択できる裁量権を有するのであって、当該処分が社会通念上懲戒事由該当行為との対比において甚しく均衡を失して合理性を欠くものでない限りは、その裁量権の範囲内にあるものとして違法性を有しないと解される(昭和四九年二月二八日最高裁判決民集二八巻一号六六頁参照)。

2  そこで、原告星野について本件懲戒処分が本件欠務との対比において甚しく均衡を失して合理性を欠くものか、これをみることとする。

(一)  まず、本件欠務は休日を除き二二日に及ぶものであること。

(二)  同原告の勤務する新潟駅が新潟県下で最も利用客の多い駅であることは公知の事実であり、(証拠略)によれば、発着列車の数、種類及び線路数が極めて多いことが認められ、一列車あるいは短時間の作業の停滞が連鎖的に他に影響を及ぼし、被告にとっての重要な責務である旅客及び貨物の円滑かつ的確な輸送に重大な支障を生ぜしめる危険性のある職場であること。

(三)  本件欠務により現実に業務に支障を生ずることは避けられたが、他の職員の勤務変更を繰り返えすこととなり、職場に及ぼした影響は決して軽くないこと。

(四)  謹慎が命じられたが、その間同原告が本件欠務につき反省し、その念を深めたとは認められないこと。

(五)  (証拠略)によれば、原告星野には、昭和四九年から同五二年までの間多数の無断欠務あるいは無断遅参があり、同年二月一五日には昭和五〇年及び同五一年の無断遅参及び欠務を理由に減給一ケ月の懲戒処分に処せられているうえに戒告三回の懲戒処分歴があるほか訓告を三回受けていることが認められること(これを左右するに足りる証拠はない)。

以上の事実によれば、これに前記の約五〇日間の謹慎があったことを斟酌しても、いまだ同原告に対する本件懲戒処分が社会通念上、甚しく均衡を失して合理性を欠くものとは到底認められず、再抗弁4は理由がない。

なお、(証拠略)によれば、逮捕、勾留による欠務五日で停職一〇月、二二日の欠務(勤)で懲戒免職の処分事例等があることが認められ、欠務日数と懲戒処分の内容との対比では、原告星野の本件欠務に対する本件懲戒処分の内容が過酷なものとはいえず、同原告主張のような逮捕、勾留による欠務に対し懲戒処分の発令を見ていない事例があることは、決して懲戒処分の対象とすべき欠務に対し処分しないことを相当とする根拠となるものではないから、右結論に消長をきたさない。

七  以上によれば原告栗林の本件欠務は被告主張の国鉄就業規則第六六条第一号、第二号、第一五号及び第一七号のいずれの懲戒事由にも該当しないから被告が同原告に対して昭和五二年八月三日付をもって発令した三か月間停職の処分は無効である。そして、右処分により同原告において金二四万四一二五円を減額されたことは当事者間に争いがなく、右処分の無効により同原告は右減額分につき被告に対し賃金請求権を有するものと認められる。なお(証拠略)によれば国鉄就業規則第三一条第一項は、基本給等を毎月二三日に当月分を支払う旨規定していることが認められる。

これに対し原告星野の本件欠務は国鉄就業規則第六六条第一号、第一五号及び第一七号に該当すると認められる。

八  よって、原告栗林の請求は同原告に対する三か月間停職処分の無効確認並びに金二四万四一二五円及びこれに対する右停職処分終了後最初の給与支払日の翌日である昭和五二年一一月二四日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、同原告のその余の請求及び原告星野の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、原告栗林の仮執行宣言の申立についてはその必要がないものと認め、これを却下して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 豊島利夫 裁判官 羽田弘 裁判官 竹内純一)

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